日本人の起源|氷河期が開いた世界史の道

宇宙から見た氷河期のアジア大陸から日本列島へ、金色の足跡が渡っていく日本人の起源のイメージ

日本人のルーツと、アメリカ大陸への道。ばらばらに見える二つの歴史は、同じ氷河期が同時に開いた”きょうだい”だった。

目次

この記事を読む前に:いま、通史のどこにいる?

いまここ|通史のどこにいる?

日本人の起源(いまここ) → 出アフリカ(人類拡散の全体地図) → 旧石器時代 → 縄文(新石器) → 弥生 → …

この連載「日本と世界、つながる通史」は、あえて”いちばん身近な問い”から始めます。「そもそも自分たち日本人はどこから来たのか」——ここを起点に、次回はぐっと視点を引いて人類全体の旅を、そのあとは旧石器・縄文・弥生と時代を追っていきます。

同じころ、世界では

日本列島に人が降り立ったのとほぼ同じ後期旧石器時代、地球の反対側には、まだ誰ひとり足を踏み入れていない大陸がありました。アメリカ大陸です。その扉が開くのは、この記事の主役である日本列島到達から、さらに1万年以上あとのこと——実はこの2つの出来事、同じ一つの自然現象でつながっています。

実はほぼ同時だった|日本とアメリカへの道

日本人のルーツと、地球の反対側にあるアメリカ大陸への道。まったく別々の歴史に見えて、実は人類の長い旅の「最後のひととき」に、続けざまに開いた道でした。それをうまく実感するために、ホモ・サピエンスの歴史およそ20万年を、朝0時から夜24時までのまる1日に縮めてみましょう(※正確な年代ではなく、長さの感覚をつかむためのイメージです)。

朝から昼過ぎまで、人類はずっとアフリカの中だけで暮らしていました。ようやく夕方5時ごろ、その一部が外の世界へ歩き出します——これが「出アフリカ」。日本列島に人がたどり着くのは夜7時半ごろ、アメリカ大陸へ人が渡るのは夜10時ごろ。20万年から見れば、この二つはほとんど「同じ夜」の出来事です。はるか遠くに見える日本とアメリカの物語は、人類史の終盤に続けて始まった“きょうだい”のような道だった——本記事は、その二つの道をひとつにつないだ秘密を解いていきます。

この記事の主役シーン(これだけ覚えて帰ればOK)

2019年、太平洋のただ中。国立科学博物館の研究チームが、3万年前の道具だけで作った丸木舟に乗り込み、台湾から沖縄・与那国島までの約200kmを、GPSも動力もエンジンも使わずに漕ぎ渡りました。目的はただ一つ——「本当に、当時の人類はこの海を渡れたのか」を自分の身体で証明すること。この一漕ぎが、日本人のルーツの旅がどれほど困難で、どれほど勇敢だったかを教えてくれます。

この記事を読み終えると、「日本人はどこから来たのか」に自分の言葉で答えられて、しかもその道が地球の反対側の大陸への道と同時に開いていたという、世界とのつながりまで見えるようになります。では始めましょう。

第1章 日本人の起源とは?——「アフリカ発、世界中を歩いた旅人」の子孫

まず一言でいうと

日本人の起源とは、「アフリカで生まれた人類が、氷河期に開かれた道を通って世界中へ広がっていった大移動の、東の果ての一章」のことです。

  • いつ?……日本列島に最初に人が住み着いたのは、今からおよそ3万5000〜3万8000年前
  • どこから?……そもそもの起源はアフリカ大陸。そこから枝分かれした一群が、何万年もかけて東へ東へと歩みを進めた末に、日本列島へたどり着きました。
  • なぜ歩けた?……氷河期(地球全体が今よりずっと寒かった時代)で海面が下がり、大陸と地続き、あるいは今よりずっと近い海になっていたからです。

私たちホモ・サピエンス(現生人類の学名)は、化石やDNA(遺伝情報を記録した分子)の研究から、およそ20万〜30万年前にアフリカ大陸で誕生したと考えられています。そこから一部の集団が「出アフリカ」と呼ばれる大移動を始めたのが、およそ6万〜10万年前。中東を経由してユーラシア大陸に広がり、さらに東へ東へと世代を重ねながら旅を続けました。

正確に言うと

この壮大な拡散は「グレートジャーニー」と呼ばれることがありますが、これは学術的な正式用語ではなく、探検家・関野吉晴氏が1993〜2002年の旅(人類拡散ルートを南米から東アフリカへ逆にたどった)に付けた通称です。関野氏は2004〜2011年には、日本列島にたどり着いたルートだけを改めてたどり直す「新グレートジャーニー」にも取り組みました。学術論文の言葉ではありませんが、旅の軌跡をイメージしやすくする呼び名として、この連載でも使わせてもらいます。

その旅の東の終着点の一つが日本列島でした。日本各地の遺跡から出土する石器などの考古学的な証拠から、人類が日本列島に到達したのはおよそ3万5000〜3万8000年前、後期旧石器時代(打製石器を使っていた旧石器時代の中でも、より新しい段階を指す時代区分)のことだったと考えられています。これはヨーロッパにクロマニョン人(後期旧石器時代のヨーロッパに住んでいた現生人類を指す通称)が現れたのと同じ後期旧石器時代の中でも、比較的早い段階にあたります。人類史全体で見れば、日本列島への到達はかなり早い時期の出来事だったと言えそうです。

この章でわかったこと
  1. 日本人の起源=アフリカで生まれた人類が、氷河期の道を通ってたどり着いた世界的大移動の一章。
  2. 日本列島への到達は約3万5000〜3万8000年前、後期旧石器時代。
  3. 「グレートジャーニー」は正式学術用語でなく通称(探検家・関野吉晴氏の旅に由来)。

第2章 なぜ”歩いて”来られたのか——氷河期が作った陸の橋

まず一言でいうと

日本列島への道が開いたのは、氷河期の寒冷化で海水が氷として陸に固定され、世界中の海面が今より大きく下がっていたからです。

まだ丸木舟すらおぼつかない時代の人々が、海に囲まれた日本列島にたどり着けた理由は、「そもそも海がずっと狭かった、あるいは陸続きだった」からです。今から数万年前、地球は最終氷期と呼ばれる寒冷な時代のただ中にありました。気温が下がると、雨や雪として降った水が海に還らず、大量の氷(氷床)として大陸の上に留まります。その結果、海水の総量そのものが減り、世界中の海面が今よりおよそ120メートルも低くなっていた時期がありました。これは10階建てビルがすっぽり沈むほどの落差です。

この「マイナス120メートル」という数字が、日本列島の姿をまったく変えていました。ルートは一様ではなく、三通りの入口があったと考えられています。

ルート 当時の状況 移動手段
北(宗谷海峡) 海面低下で文字通りの陸橋になった 歩いて渡れた
西(対馬海峡) 完全な陸地にはならなかったが幅がぐっと狭まった 簡単な舟での往来
南(琉球列島) 黒潮という世界最大級の海流が横切り、陸橋にはならず 本格的な航海が必要

九州・本州側で見つかっている最古級の遺跡の多くは、この対馬ルートを通ってきた人々のものと考えられています。

主役シーンの舞台裏——3万年前の航海、徹底再現

南の琉球ルートが本当に実現可能だったのかを検証したのが、国立科学博物館の海部陽介氏らが2016年から2019年にかけて行った「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」です。当時の道具と材料だけで再現した草束の舟や竹の筏では黒潮を越えられないことをまず実証したうえで、丸木舟を製作し、2019年に台湾から与那国島までの約200kmを実際に漕ぎ渡ることに成功しました。琉球列島への到達は「人類史上もっとも難しい航海の一つ」だったのではないか、と評価されています。

この時期、海を渡ったのは人間だけではありませんでした。ナウマンゾウやヤベオオツノジカ(大きな角を持つシカの一種)といった大型動物の化石も日本各地の地層から見つかっており、彼らもまた氷期に陸続きになった隙をついて、大陸から歩いて渡ってきたと考えられています。

この章でわかったこと
  1. 氷河期の海面低下(最大約120m)が、日本列島への「北・西・南」3つの入口を開いた。
  2. 北は陸続きで歩いて、西は舟で少し、南(琉球)は本格的な航海が必要だった。
  3. 2019年の丸木舟再現実験が、南ルートの航海が実際に可能だったことを実証した。

第3章 【つながりの糸】同じ氷河期が、アメリカ大陸への道も同時に開いていた

まず一言でいうと

日本列島への道を開いた「海面マイナス120メートル」という現象は、地球の反対側でも同時に、アメリカ大陸への道を開いていました。

ここからが、この連載でいちばん紹介したかった「つながり」です。氷河期というのは地球全体を覆う気候システムの変化ですから、当然、地球の反対側でも同じことが起きていました。

その舞台が、ロシア極東のシベリアとアメリカ大陸アラスカの間、現在のベーリング海峡です。ここも同じように海面が下がったことで、両大陸をつなぐ広大な陸地——「ベーリング陸橋」、あるいは地域名を取って「ベーリンジア」と呼ばれる陸地が姿を現していました。

正直にお伝えすると

研究によれば、この陸橋は最終氷期の間、断続的に存在し、特に氷期がもっとも厳しかった時期の後、およそ2万〜1万4000年前ごろに人々が渡った可能性が高いと考えられています。近年は氷が張る前の沿岸を伝って南下した「沿岸ルート説」も有力視されており、正確な経路と時期は今なお研究が続く「諸説ある」領域です。

整理すると、こうなります。

日本列島への道 アメリカ大陸への道
開いた原因 氷河期の海面低下(最大約120m) 同じ氷河期の海面低下
舞台 宗谷海峡・対馬海峡・琉球列島 ベーリング海峡(ベーリンジア)
到達の目安 約3万5000〜3万8000年前〜 約2万〜1万4000年前ごろ

日本人の祖先とアメリカ大陸に渡った人々の祖先は、直接の血縁関係というより「同じ氷河期という一つの巨大な気候現象が、地球のあちこちで人類に”新しい道”を用意した」という、いわば兄弟のような関係にあります。片やユーラシアの東の果て、片や太平洋を越えた新大陸——ばらばらに見える二つの歴史が、一枚の気候の地図の上では隣り合っていた。これが今回、皆さんに持ち帰ってほしい「新しい視点」です。

この糸、次回で”世界地図”として回収します 回収 → 第2回・出アフリカ

「なぜ同じ現象が2つの大陸への道を同時に開いたのか」——その全体像(人類がアフリカからどう枝分かれし、いつオーストラリアへ、いつヨーロッパへ広がったか)は、次回「出アフリカ——人類はどこへ広がったのか」で一枚の地図として描き直します。

この章でわかったこと
  1. 日本列島への道とベーリング陸橋は「同じ氷河期の海面低下」という一つの現象が開いた。
  2. アメリカ大陸への到達は約2万〜1万4000年前ごろ(沿岸ルート説など諸説あり)。
  3. 日本とアメリカのルーツは血縁でなく”気候現象の兄弟”という関係で結ばれている。

第4章 縄文人、そして最新DNAが覆した”日本人像”

まず一言でいうと

日本列島にたどり着いた人々の子孫が縄文人となり、その後の古代ゲノム研究によって「日本人像」そのものが今なお書き換えられ続けています。

こうして日本列島にたどり着いた人々の子孫が、やがて独自の文化を育みます。土器や狩猟採集の暮らしで知られる縄文時代の人々、いわゆる縄文人です。彼らは長い間、大陸から比較的孤立した島国で独自の遺伝的特徴を育んでいったと考えられています。

面白いのは、その「孤立」もまた氷河期と地続きの話だということです。古代ゲノム研究は、縄文人の祖先が大陸の集団と分かれた時期を約2万〜1万5000年前と推定しています。これは氷期が終わりに向かい、海面が上がって日本列島が大陸から切り離され、文字どおり”島”になっていった時期と重なります。かつて人々を歩いて招き入れた氷河期は、その終わりに海面を押し上げ、今度はその子孫を大陸から隔てて、独自の縄文人へと育てあげた——扉を開けたのと同じ気候が、やがて扉を閉めた。ここにもまた、気候と歴史のさりげないつながりが顔を出します。

アイヌ・沖縄・本土——縄文人由来DNAの「濃淡」

2019年、国立科学博物館を中心とする国内7研究機関の共同研究チームが、北海道・礼文島の船泊遺跡から出土した約3800年前の縄文人女性の人骨から、核ゲノム(染色体に含まれる遺伝情報の全体)を現代人並みの精度で解読することに成功しました。

この研究をふまえた分析では、現代の私たちが受け継ぐ縄文人由来のDNAの割合は、地域によって大きな差があることが示されています。

地域 縄文人由来DNAの目安割合
北海道・アイヌの人々 およそ7割
沖縄県の人々 およそ3割
本州など「本土」の人々 およそ1割
正確に言うと

いずれも解析手法や対象集団によって変動しうる目安の数値です。アイヌの人々に縄文人由来のDNAが色濃く残っているのは、大陸に近い本土に比べて、渡来してきた人々との混血の影響を受けにくい地理的な位置にあったためだと考えられています。

もう一つの「へぇ」——DNAの濃淡は、からだの特徴にも表れている?

縄文人由来DNAの比率の違いは、系統をたどる手がかりであるだけでなく、耳垢のタイプ(湿型か乾型か)や歯の形といった、からだの特徴の地域差とも関わっているのではないか、と指摘する研究者もいます。私たちが何気なく持っている体質や見た目の個人差の一部も、こうした古代からの旅の”名残”かもしれません。

この章でわかったこと
  1. 日本列島到達者の子孫が縄文人となり、大陸から分かれた時期は氷期終了・海面上昇の時期と重なる。
  2. 縄文人由来DNAの割合はアイヌ約7割・沖縄約3割・本土約1割と、地域で大きく異なる。
  3. 「孤立した島国」というイメージも、氷河期という同じ現象の”続き”として説明できる。

第5章 二重構造モデルから三重構造モデルへ——書き換えられる日本人像

まず一言でいうと

「縄文人+弥生人」の二重構造モデルは、近年の古代ゲノム研究によって「古墳時代の渡来集団」を加えた三重構造モデルへと更新されつつあります。

これまで日本人の成り立ちを説明する定説として広く知られていたのが、人類学者・埴原和郎氏が1991年に提唱した「二重構造モデル」でした。これは、もともと日本列島にいた縄文人(基層集団)に、弥生時代以降に大陸から渡ってきた人々(渡来系弥生人)が混血し、現代日本人ができあがった、という考え方です。

ところが近年、古代人の骨からDNAを直接読み取る「古代ゲノム解析」という技術が急速に進歩し、この定説に修正を迫る研究が相次いで発表されています。2021年、アイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンと金沢大学・鳥取大学などの国際共同研究グループが、学術誌『サイエンス・アドバンシズ』で発表した論文(Cookeら, 2021)では、縄文人・弥生人に加えて「古墳人」(古墳時代に渡来した東アジア系の人々)という第三の集団を加えるべきだとする「三重構造モデル」が提唱されました。この論文が現代の本土日本人のゲノムを統計モデルで分析したところ、その構成はおおよそ——縄文系が約13%、稲作を伝えた北東アジア系(弥生系)が約16%、そして古墳時代に渡来した東アジア系が約71%、という推定でした。

正確に言うと

あくまでゲノム全体を統計モデルで推定した割合で、手法や集団によって幅は出ます。ただ「二重構造では説明しきれない第三の波があった」という三重構造そのものは、複数の後続研究にも支持されています。

さらに2024年、理化学研究所と東京大学医科学研究所などのチームが、バイオバンク・ジャパン(全国の医療機関を通じて集められた大規模な遺伝情報・健康情報のデータベース)に登録された3256人分の全ゲノムを解析した大規模研究を発表しました。この研究では現代日本人のゲノムの中に、沖縄で顕著な系統(沖縄28.5%・縄文系の祖先に由来)東北で顕著な系統(東北18.9%)関西で顕著な系統(関西13.4%・古代中国の集団と近縁性が高い)という3つの遺伝的な流れがあることが統計的に裏付けられ、三重構造モデルをさらに補強する結果となりました。

ここは誤解されやすいので正確に

この2024年の研究は全国の一般住民を対象にしたバイオバンク・ジャパンのデータが元になっており、アイヌの人々のデータは含まれていません。先ほど紹介した2019年の研究(アイヌ約7割・沖縄約3割・本土約1割)と重ねて読むと、「本土の中でも沖縄・東北・関西で濃淡がある」ことに加え、「本土とアイヌ・沖縄の間にはさらに大きな差がある」という、二重の地域差が浮かび上がってきます。国立遺伝学研究所の斎藤成也氏をはじめ研究者の間でも二重構造か三重構造かは現在進行形で議論されている分野です。

もう少しだけ専門的に——ミトコンドリアDNAとY染色体、そして渡来ルート

DNAの中には系統をたどりやすい特別な部分があります。母から子へほぼそのまま伝わるミトコンドリアDNAと、父から息子へ伝わるY染色体です。縄文人の骨からはミトコンドリアDNAの型としてN9bやM7aといった系統が、Y染色体ではD1a2(かつてD1bと呼ばれた型)という系統が高い頻度で見つかっており、現代の日本人男性にも一定の割合で受け継がれています。一方、弥生時代以降に大陸から渡ってきた系統としてはO1b2というY染色体の型がよく知られています。

渡来した人々がどのルートを通ったのかについては、朝鮮半島から対馬海峡を渡り九州北部へ上陸したというルートが最も有力とされていますが、中国の山東半島から朝鮮半島を経由するルートや、中国南部の江南地方から東シナ海を直接渡ってきたとするルートも唱えられています。渡来はおそらく一度きりの出来事ではなく、長い年月をかけて複数のルート・複数の波で起きたと考えるのが妥当なようです。

余談ですが、2024年の理研の研究では、私たちのゲノムの中に現代人とは別の人類であるネアンデルタール人やデニソワ人に由来するDNAの断片が今も残っていることも確認されています。この”別の人類との出会い”の物語は、次回「出アフリカ」で詳しく掘り下げます。

この章でわかったこと
  1. 「縄文人+弥生人」の二重構造モデル(埴原和郎, 1991)は今の定説の土台。
  2. 2021年のCookeら論文で「古墳人」を加えた三重構造モデルが提唱され、2024年の理研研究がさらに補強。
  3. アイヌのデータを含む研究とバイオバンク・ジャパン研究を重ねると、地域差は二重に存在する。

第6章 次の時代へ——起源の物語から「旧石器時代」へのバトン

ここまで見てきた「日本人の起源」の物語は、実は一つの大きな時代区分の入口にすぎません。日本列島に人が到達したその瞬間から、次の時代の主役たちの物語が始まります。

  • 視点:ひとつの島国の物語 → 人類全体の拡散という大きな地図の一部(次回、視点を引き直します)
  • 道具・暮らし:まだ何も語られていない「到達の瞬間」→ 打製石器を使い、狩りをしながら移動する旧石器時代の暮らし(第3の記事「旧石器時代とは」で詳述)
  • 証明のされ方:DNA・化石という現代科学の証拠 → 石器という考古学の証拠(「岩宿の発見」という別のドラマがここに続きます)

日本人の起源をたどる旅は、次に「そもそも人類はどこへ広がっていったのか」という、もっと大きな地図へと続いていきます。

まとめ:日本人の物語は、世界の物語の一章だった

ここまでの話を一度、日常の感覚に置き直してみます。

私たちが「日本人」と呼んでいるものは、ある日突然この島に生まれたわけではなく、①アフリカで生まれた人類が、②氷河期という地球規模の気候変動に導かれて世界中へ散らばり、③そのうちの一群が日本列島にたどり着き、④その後も大陸から幾度となく人が渡ってきて混ざり合い続けた結果、今の私たちがいる——という、何重にも重なった旅の末にある姿です。

そしてその旅を可能にした「氷河期の海面低下」という一つの自然現象は、日本列島だけでなく、地球の反対側でアメリカ大陸への道も同時に開いていました。ニュースで「日本」と「アメリカ」がまったく別の歴史を持つ国として語られることに慣れていると忘れがちですが、両者の祖先は、同じ氷河期という一つの舞台の上で、それぞれの道を歩き出した”きょうだい”だったとも言えるのです。

現代の窓 2026

DNA検査キットが手軽に使える2026年のいま、「あなたのルーツはここ」という結果を見て一喜一憂する人も増えました。けれど本記事で見てきた三重構造モデルや、地域ごとのDNAの濃淡が教えてくれるのは、「日本人」という一つの均質な塊など最初から存在せず、幾重にも重なった渡来と混血の末に今の私たちがいる、という事実です。「純粋な日本人」という発想そのものが、実は科学的には成り立ちにくい——そう知ることは、多様なルーツを持つ人々が共に暮らす2026年の社会を、少し違う目で見せてくれるはずです。

次回への糸

次回、連載「日本と世界、つながる通史」第2回では、視点を少し引いて「世界に散らばった人類は、その後どこへ広がっていったのか」を追いかけます。今回植えた「氷期の陸橋——同じ現象が2つの道を開いた」という糸を、オーストラリア・ヨーロッパも含めた一枚の世界地図として回収します。第2回「出アフリカ——人類はどこへ広がったのか」へ

この記事の参考情報源

  • 理化学研究所「全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴」プレスリリース(2024年4月18日) https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html
  • サイエンスポータル(JST)「日本人祖先の『3系統説』、定説の『二重構造モデル』に修正迫る」(2024年7月24日) https://scienceportal.jst.go.jp/stories/20240724_e01/
  • Cooke, N.P. ら「Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations」『Science Advances』第7巻38号 eabh2419(2021年)(DOI: 10.1126/sciadv.abh2419) https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
  • 東京新聞「日本人のルーツは古墳人か 国際共同研究グループ 最新ゲノム解析」(2021年10月) https://www.tokyo-np.co.jp/article/136006
  • 国立科学博物館ほか国内7研究機関「遺伝子から続々解明される縄文人の起源〜高精度縄文人ゲノムの取得に成功〜」プレスリリース(2019年5月13日) https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/150678.pdf
  • 東京大学 学術俯瞰講義「ゲノムから読み解く日本人の起源」斎藤成也(国立遺伝学研究所) https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf
  • 東京大学「3万年前の日本列島への大航海を当時の材料と道具で徹底再現」(国立科学博物館・海部陽介氏らのプロジェクト、2016〜2019年) https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00299.html
  • 関野吉晴氏のプロフィール・「グレートジャーニー」「新グレートジャーニー」の経緯(Wikipedia日本語版「関野吉晴」の項) https://ja.wikipedia.org/wiki/関野吉晴

※年代・数値・比率は研究によって幅があり、現在も更新が続く分野です。「約」「およそ」を付した数字は目安としてお読みください。ミトコンドリアDNA・Y染色体ハプログループの具体的な検出頻度については、複数の研究・解説を横断して大まかな傾向を示したものであり、個々の数値は出典によって差があります(Claudeによる複数史料の照合済み)。

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この記事を書いた人

日本史と世界史を分けず、人類誕生から2026年までを一本の通史としてつなぎ直す歴史メディアです。健康・医療分野に携わるメンバーも参画し、人体や進化という独自の視点から出来事の「点」を「線」でつなぎます。読み終えたとき、世界の見え方が変わる記事をお届けします。

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