病と人体の歴史|古代から現代をたどる「治す」の物語

病と人体の歴史──古代の生薬から現代の医療までを見渡すHistoryOSの案内ロボット

あなたの体は、実は1500年前の”間違った学説”の跡地に建っている——そう言われたら、驚くだろうか。古代ローマの医師が唱えた人体の理論は、正しい部分も間違った部分もそのまま1500年近く医学の常識であり続け、ヨーロッパの医学生はその誤りごと丸暗記して育った。人はなぜ、これほど長く間違いに気づけなかったのか。そして、なぜある時代を境に、人体の見え方は一変したのか。この記事は、そんな「病と人体の歴史」というシリーズの入口にあたる、古代から現在までを一気に見渡す”あらすじ”版だ。

病がどう生まれ、どう乗り越えられてきたかを追っていくと、”今のあなたの体”が少し違って見えてくる。

目次

なぜ医療従事者が、人体と病の歴史を書くのか

このシリーズを書いているのは、柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師という4つの国家資格と、専門職学位である D.C.(カイロプラクティック、Tokyo College of Chiropractic・CCEA認可)を持ち、オステオパシー D.O. を専攻しながら、十数年にわたって数万人の体と向き合ってきた一人の医療従事者だ(詳しい経歴は執筆者プロフィールに記している)。

体を診る仕事を長く続けていると、自然と一つの問いが浮かんでくる。「なぜ人はこの体で、この病を抱えているのか」。答えの半分は解剖学や生理学の教科書にあるが、もう半分は歴史の中にある。今の医学の常識——検査の受け方、薬の飲み方、体の見方そのもの——は、ある日突然できあがったものではない。誰かが間違え、誰かがそれを疑い、誰かが命がけで確かめてきた、長い物語の積み重ねの上に立っている。

この記事では、その物語を古代・中世・近世・近代・現代という5つの時代に分けて、駆け足で見渡す。各時代の詳しい物語は、今後このシリーズの個別記事として一つひとつ届けていく予定だ。この記事自体は、歴史の物語全体の”現在地”を進める記事ではない——いつでも寄り道できる、シリーズ全体の地図だと思ってほしい。

🗺️ 5つの時代、ざっくり地図

時代 一言でいうと
古代 病を「神の罰」でなく「観察する対象」として見始めた時代
中世 ヨーロッパが停滞する一方、世界の医学の重心はイスラーム世界にあった時代
近世 人体の中身を、初めて自分の目で正確に確かめ始めた時代
近代 痛みと”見えない敵”に、人類が科学で反撃を始めた時代
現代 わずか100年で、人類の寿命がほぼ倍になった時代

第一幕 古代——「治す」という営みの発芽

古代の医療──薬草と石臼、陰陽五行を記した巻物、鍼、ギリシアのヒポクラテスを見つめる案内ロボット

まず一言でいうと、古代とは「病は神の怒りだ」という考え方から、「病には原因があり、観察すれば理解できる」という考え方が、世界の各地でほぼ同時多発的に芽生えた時代だった。

中国では、紀元前の戦国時代から前漢の時代にかけて(諸説あり、成立年代は幅を持って考えられている)、『黄帝内経(こうていだいけい)』と呼ばれる書物がまとめられていった。ここには、体には「気」が巡る道筋があるという考え方——のちに経絡(けいらく)と呼ばれる体系の原型が記されている。インドでも、同じ頃からアーユルヴェーダと呼ばれる医学の体系が育っていた。一方、地中海の世界では、紀元前5世紀ごろのギリシアの医師ヒポクラテスが、病を神罰でなく自然現象として観察しようとした最初期の一人として名を残し、彼の名を冠した「ヒポクラテスの誓い」は今も医療倫理の原点として語られている。

🩺 からだの物語

「体には目に見えない道筋が巡っている」という考え方は、古代中国だけでなく、古代の多くの文明が独立にたどり着いた発想だった。この考え方が、のちに鍼灸(しんきゅう)という技術の土台になっていく。ここで大切なのは、この記事がその技術の効果を評価する場ではないということだ。あくまで「人類は体をどう理解しようとしてきたか」という思想の歴史として、興味深く感じている。

※これは健康法や治療の話ではない。人類が体をどう捉えようとしてきたかという、思想と歴史の物語として読んでほしい。

紀元前430年ごろ、アテネでは疫病が大流行し、当時の指導者ペリクレスの命も奪ったと伝えられる(トゥキュディデスの記録による。原因となった病原体は今も特定されておらず諸説ある)。民主政の中心地を襲ったこの疫病は、ペロポネソス戦争の行方にも影響したとされ、「病が歴史を動かす」という、このシリーズを貫くテーマの最初の実例の一つになった。日本では奈良時代の735〜737年ごろ、天然痘とみられる疫病が猛威をふるい、当時の人口の相当割合が失われたと推定されている。この経験が、聖武天皇による東大寺大仏の造立という国家的な事業につながったと考えられている——病が、大仏という巨大な文化財を今日まで残す動機になったわけだ。

同じころ、ローマ帝国では医師ガレノスが人体の仕組みを体系立てて説明しようとした。彼の理論には正しい観察も多く含まれていたが、動物の解剖から得た知識を人体にそのまま当てはめた部分もあり、いくつかの重大な誤りを含んでいた。それでもガレノスの権威はあまりに大きく、この誤りは1000年以上にわたって医学の”正解”として受け継がれていく——その顛末は、次の時代の主役になる。

この時代をもっと詳しく:黄帝内経と陰陽五行説(東洋医学の源流)、ヒポクラテスと「医とは何か」の起源(近日公開)、天然痘と大仏(近日公開)、ガレノスの1500年(近日公開)

第二幕 中世——世界の重心は、実はイスラームにあった

中世イスラームの医学──医学写本と蒸留器、天文儀が並ぶ書斎で青い薬液のフラスコを掲げる案内ロボット

まず一言でいうと、「中世のヨーロッパは暗黒時代で医学も停滞していた」というイメージは半分しか正しくない。同じ時代、世界の医学の最先端は、イスラーム世界にあった。

10世紀末に生まれた学者イブン・スィーナー(ラテン名アヴィケンナ)は、哲学から医学まで幅広い分野に通じた知識人だった。彼が1020年代にまとめたとされる(完成は1025年ごろと伝えられる)『医学典範(いがくてんぱん)』は、古代ギリシアの医学(ガレノスらの知識を含む)とイスラーム世界で蓄積された知見を体系的に整理した大著で、後にラテン語に翻訳され、ヨーロッパの大学でも17世紀ごろまで標準的な医学の教科書として使われ続けたと伝えられている。ヨーロッパが停滞していたとされる時代に、実はその医学の土台を静かに支え続けていたのが、イスラーム世界だった——これが中世という時代の意外な一面だ。

正確に言うと

「中世=暗黒時代」という見方自体が、近代以降に強調されすぎた面があるという指摘もある。中世ヨーロッパでも修道院を中心とした医療・看護の営みは続いており、後の病院制度の origin もここにある。ただし、医学の理論的な発展という点では、この時代の最先端がイスラーム世界にあったことは多くの研究で共有されている。

一方、14世紀のヨーロッパは、黒死病(ペスト)という未曾有の危機に直面する。1347年ごろ、中央アジアからモンゴル帝国の広大な交易網を通じて西へ運ばれたとみられるこの疫病は、わずか数年でヨーロッパの人口のおよそ3割前後を奪ったと推定されている(推定値には幅があり諸説ある)。人手不足は農奴制の力関係を揺るがし、後の社会変化の遠因の一つになったとする見方もある。「見えない病原体が、王朝や社会の仕組みそのものを動かす」——この構図は、このシリーズの中で繰り返し姿を現すことになる。

この時代をもっと詳しく:イブン・スィーナーと『医学典範』——中世イスラームが東西医学をつないだ(近日公開)、黒死病が壊した中世(近日公開)

第三幕 近世——人体を「正確に見る」革命

近世の解剖学革命──ヴェサリウス風の解剖書と真鍮の顕微鏡をのぞく案内ロボット

まず一言でいうと、近世は世界の両端で、ほぼ独立に「人体を自分の目で正確に確かめよう」という同じ衝動が芽生えた時代だった。

1543年、現在のベルギー(当時はハプスブルク領・ブリュッセル)出身の解剖学者ヴェサリウスは『ファブリカ』という書物を発表する。実際に人体を解剖し、自分の目で確かめた観察に基づいて、1000年以上受け継がれてきたガレノスの誤りを次々と正していったこの本は、「見て、確かめる」という近代科学の精神そのものを医学に持ち込んだ画期的な仕事だった。

正確に言うと

日本の『解体新書』の刊行は1774年で、ヴェサリウスの『ファブリカ』とは200年以上の開きがある——厳密には「同じ年」の出来事ではない。それでも面白いのは、この2つが「権威の書物を信じるのでなく、自分の目で人体を確かめる」という同じ精神の異なる発露だという点だ。奇妙な符合として、ヴェサリウスが『ファブリカ』を出したまさに1543年は、鉄砲が種子島に伝わった年でもある——解剖学と鉄砲という、まったく別の”西洋の技術”が同じ年に動き出していたことになる。

日本では、杉田玄白・前野良沢らが、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を頼りに実際の腑分け(解剖)に立ち会い、その正確さに衝撃を受けたと伝えられる。彼らはそこから3年以上をかけて翻訳に取り組み、1774年に『解体新書』として刊行した。それまで日本の伝統医学が説いてきた五臓六腑の人体観と、実際に開いてみた人体の姿は違っていた——この驚きが、日本の医学が大きく舵を切るきっかけの一つになった。同じ時代、江戸の医療現場では、中国由来の漢方と、オランダ経由の蘭方(らんぽう)外科が併存する、独特なハイブリッドの医療文化も育っていた。

なお近世は、17世紀のイギリスの医師ハーヴェイが「心臓はポンプであり、血液は体を循環している」ことを実証した時代でもある。それまで血液は体の中で作られては消費される、という考え方が主流だったことを思えば、これもまた「見て確かめる」革命の一つの成果だった。

この時代をもっと詳しく:ヴェサリウスの『ファブリカ』——ガレノスを1500年ぶりに書き換えた解剖学(近日公開)、解体新書——日本人が初めて人体の中を正確に見た日(近日公開)、漢方と蘭学の共存(近日公開)

第四幕 近代——見えない敵と、痛みへの反撃

近代の細菌学と麻酔──顕微鏡・シャーレ・エーテル吸入器が並ぶ実験室でシャーレを掲げる案内ロボット

まず一言でいうと、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、医学は「経験の技」から「科学」へと一気に姿を変えた。

1804年、鎖国下の日本、和歌山の一地方医だった華岡青洲は、独自に調合した薬で患者の意識を落とし、世界で初めて全身麻酔のもとでの外科手術に成功したと伝えられる。西洋でエーテルによる麻酔が実用化されるのは、それより42年後の1846年のことだった。「痛みを消す」という人類の願いに、鎖国下の日本が先に到達していた——この物語はシリーズの個別記事で詳しく扱う。

ほぼ同じころ、フランスのパスツールは、目に見えない微生物が病を引き起こすという「病原菌説」を実証し、狂犬病ワクチンの開発などで名を残した。ドイツのコッホは結核菌を発見し、「特定の病原体が特定の病気を引き起こす」という考え方を厳密な手法で証明した。この流れを受け継いだ日本の北里柴三郎は、1889年に破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、体の中に抗毒素を作らせて病気と戦わせる「血清療法」を確立した。この功績は、記念すべき第1回ノーベル生理学・医学賞の有力候補と見られていたが、実際に受賞したのは共同研究者だったベーリング一人だけだった——という悲運も伝えられている。

🩺 からだの物語

病原菌説と血清療法が明らかにしたのは、体には元々「見えない敵と戦う仕組み」が備わっているという事実だった。かつて人類が持ちうる最大の”武器”は、体そのものに備わったこの防御の仕組みだったとも言える。この視点は、後の免疫学という分野の土台になっていく。

※これは健康法の話ではない。人類が自分の体の仕組みをどう発見していったかという、歴史の物語だ。

一方で、科学が万能だったわけではない。日露戦争(1904〜1905年)の前後、海軍軍医の高木兼寛は、食事の偏りが脚気(かっけ)の原因ではないかと見抜き、海軍食の改善で脚気による死者を大きく減らすことに成功していた。ところが陸軍軍医だった森鴎外らは、当時最先端とされていた細菌説にこだわり、脚気の原因を病原菌に求め続けた結果、陸軍では脚気による夥しい犠牲者を出したと伝えられている。「正しい科学的な態度」と「実際に正しい答え」が必ずしも一致しないことを、この一件は物語っている。

この時代をもっと詳しく:華岡青洲|世界初の全身麻酔、西洋より42年早く(近日公開)、見えない敵と戦った男——北里柴三郎、脚気戦争——高木兼寛vs森鴎外(近日公開)

第五幕 現代——100年で寿命がほぼ倍になった時代

現代の医療──明るい病院でCT/MRI・心電図・DNA・ワクチンに囲まれ前へ歩む案内ロボット

まず一言でいうと、20世紀の医学は、それまでの数千年分をまとめて超えるような発見の連続だった。

1928年、イギリスの細菌学者フレミングは、培養していた細菌の周りだけアオカビが生えて細菌が死んでいることに気づき、ペニシリンを発見した(実用化されて多くの命を救うようになるのは、それから十数年後、第二次世界大戦のさなかのことだった)。1953年には、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を解明した(ロザリンド・フランクリンによるX線回折データが決定的な手がかりになったことも、近年はあわせて重視されている)。生命の設計図の仕組みが、初めて明らかになった瞬間だった。そして1980年、世界保健機関(WHO)は天然痘の世界根絶を宣言した。人類が意図的に一つの感染症を地球上から消し去った、史上初めての出来事だった——その出発点は、18世紀末にイギリスの医師ジェンナーが始めた種痘(しゅとう)という予防法にまでさかのぼる。

このように寿命と健康を大きく押し上げてきた一方で、記憶に新しいところでは、2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的な大流行となり、人類は改めて「見えない敵」と向き合うことになった。医学がどれほど進んでも、新しい病原体との遭遇そのものはなくならない——このシリーズが古代から一貫して見てきた構図が、現在も続いているということでもある。

正確に言うと

この記事で触れた出来事の多くは、専門家の間でも評価や解釈が分かれる部分を含む。特に感染症の流行に関する数字や解釈は、研究の進展によって今後も更新されうる。ここでは現時点で広く共有されている理解を、断定を避けつつ紹介している。

この時代をもっと詳しく:カビが救った数億の命——ペニシリンの発見(近日公開)、DNA構造の発見——生命の設計図(近日公開)、ジェンナーと種痘——天然痘根絶への200年(近日公開)

現代の窓——今日あなたが病院で受けた検査も

今日あなたが病院で受ける検査、処方される薬、当たり前だと思っている「痛みなく手術を受けられる」という事実——そのすべては、たどっていくと必ずどこかの時代の続きになっている。ガレノスの誤りに1000年以上気づけなかった時代があったからこそ、「自分の目で確かめる」ことの大切さを人類は学んだ。麻酔のなかった時代があったからこそ、痛みを消す技術のありがたさが分かる。見えない病原体に何度も敗北してきた歴史があったからこそ、今の感染症対策がある。

このシリーズの面白さは、一つひとつの発見の裏に、必ず誰かの好奇心・執念・時には犠牲があったと知ることにある。まだ言葉になっていない発見が、この先にもきっとある——読み進めるたびに、そんな新しい視点を1つでも持ち帰ってもらえたら嬉しい。

このシリーズを書いているのは、医療系の国家資格4つとD.C.(専門職学位)、オステオパシーD.O.を専攻する一人の医療従事者だ。体を診る仕事を続けてきたからこそ気づける歴史の見え方を、これからも一つずつ届けていきたい。詳しい経歴は執筆者プロフィールで紹介している。

免責

これは歴史・思想史の物語であり、健康法や治療を勧めるものではない。本文中で触れた植物・薬剤・技術に関する記述は、あくまで歴史上の出来事の紹介であり、現代における使用や模倣を推奨するものでは一切ない。体調に不安がある場合は、医療機関に相談してほしい。

この記事の参考情報源

  • J-STAGE(jstage.jst.go.jp)掲載の医学史関連論文
  • 日本薬学会・医学史関連学会の公開資料
  • 世界保健機関(WHO)天然痘根絶に関する公式資料
  • 国立国会図書館・国立公文書館の公開史料
  • Encyclopædia Britannica(britannica.com)
  • Wikipedia(入口として参照。単独の根拠にはしていない)

※本文中の年代・人数・数値の多くは、研究や史料によって幅がある推定値であり、断定を避け「諸説ある」「〜と伝えられる」という表現を用いている。特にアテネの疫病の病原体、黄帝内経の成立年代、黒死病による死者数、ヴェサリウスと解体新書の時期の関係については、今後の研究で理解が更新される可能性がある。

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華岡青洲|世界初の全身麻酔、西洋より42年早く(近日公開)

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この記事を書いた人

医療系の国家資格を4つ(柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師)と専門職学位 Doctor of Chiropractic をもち、JCR(日本カイロプラクティック登録機構)の登録カイロプラクターでもある医療従事者・山﨑 駿。オステオパシー(D.O.)を専攻中。十数年にわたり臨床で人の体と向き合い、体・進化・いのちの視点から、人類と地球の歴史をひと続きの物語として読み解く。


▶ 執筆者プロフィール / HistoryOS 運営者情報

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